100年後の日本にも木桶醤油を!木桶職人復活プロジェクト

木桶が並ぶ蔵の風景、島中に漂う醤油の香り。香川県小豆島は醤油とオリーブオイルの島として知られている。香川県の醤油生産量は全国第5位(2018年出荷量)で、そのうちの半数が小豆島産。全国の木桶仕込みの醤油の1/4以上が小豆島産と言われるほど、伝統的な醤油づくりが盛んな島。 しかし、醤油の全生産量からみると木桶仕込みの醤油はわずか1%。木桶仕込みの醤油が存続の危機に立たされている中、木桶醤油の味を後世に残そうという取り組みが小豆島から始まっている。  

 

塩の島から醤油の島へ

そもそも、小豆島は温暖な気候と長い日照時間、穏やかな海という気候風土により、盛んに塩づくりが行われていた島で、かつて小豆島の塩は「島塩」と呼ばれていた。15~16世紀ごろから大規模に塩田による塩づくりが始まり、昭和40年代まで塩づくりは島の主要な産業のひとつだった。現在醤油製造を営む醤油蔵には、赤穂(兵庫県)から塩づくりの為に移住してきた人を先祖に持つところもある。

 

金両の醤油蔵の初代は「赤穂より塩づくりのため移住してきた」とある。

 

  小豆島の醤油の起源は約400年前。大阪城築城の為の採石がされた場所のひとつだった小豆島には、採石のために関西から人が行き来していた。その採石部隊が初めて小豆島に醤油を持ち込んだと言われている。 醤油に興味を持った島民が湯浅(和歌山県)に醤油づくりを学びに行き、小豆島での醤油作りが始まった。元々塩づくりが盛んだった小豆島。海運の利により食材が豊富に流通していたこともあり、醤油作りに必要な小麦や大豆も手に入った。また、温暖な気候は醤油をつくる菌たちにも絶好の環境だった。塩、小麦、大豆、菌、すべてが揃い、小豆島では醤油づくりが拡がっていった。明治時代には、島の中に約400軒もの醤油蔵があったという。  

 

後世の日本で木桶醤油が味わえなくなるかもしれない。

現在、小豆島に現存する醤油蔵は22軒で、そのうち木桶仕込みを行っているのは数件ほど。全国的に見ても、木桶仕込みの醤油は全生産量の1%にすぎない。江戸時代に産業化した木桶による醸造業だったが、現在では「木桶は品質管理が難しい」「HACCP対応が困難」「修繕ができない」などの理由から木桶を手放す醸造メーカーが多い。 そんな中、小豆島で150年続く〈ヤマロク醤油〉の5代目 山本康夫さんの声がけで「木桶職人復活プロジェクト」が始まった。

 

ヤマロク醤油では、創業以来木桶仕込みの醤油を大切にしてきた。醤油の仕込みに用いられる木桶の寿命は100~150年。2009年に山本さんが新しい木桶を大阪の桶屋に発注したところ、「醤油屋から新桶の注文が入ったのは戦後初だ。」と言われたそう。

 

「僕が新桶を発注した時点で、大桶がつくれる桶屋さんは日本に1軒しか残っていませんでした。最後の桶職人と言われる大阪の職人さんから『いつまで作れるかわからん』と言われ、木桶が存続の危機であることを知りました。

 

ヤマロク醤油5代目山本康夫さん

 

  大阪の職人さんからは『2022年で大桶づくりを辞める』と言われています。今生きている僕たちの分の木桶醤油はあるけれど、今後の日本に木桶醤油が絶滅してしまうかもしれない。今年からカウントダウンが始まるんです。 和食がユネスコの世界文化遺産になったけれど、和食を支えてきた酒、酢、醤油、味噌などの調味料は江戸時代まではすべて木桶で作られていました。木桶が無くなってしまったら、昔ながらの味が廃れてしまう。であれば、木桶自体を作れるようになろうと、知り合いを大阪に送り込んで修行してもらいました。今の木桶醤油の全国シェアは1%。そこを奪いあうのではなく、みんなで協力して2%にしていくことを目指しています。」

 

100年選手の木桶の肌はベルベットのようにふわふわになる。こちらも現役の桶。

 

木桶サミット2022

木桶醤油の底上げを図るべく「技術を公開してみんなで広げていこう!」と、山本さんが知り合いの醤油蔵に声をかけたものの、当初は全く相手にしてもらえなかったそう。そんな中でも数軒の醤油蔵と一緒に「木桶職人復活プロジェクト」がスタート。 (木桶職人復活プロジェクトについてはこちら) 初めて小豆島で木桶を組み立てたのが2012年。その様子を公開イベントとして開催し、2020年1月からは「木桶による発酵文化サミット(通称、木桶サミット)」が開かれるようになった。

 

 

2022年1月に開催された事業者限定の木桶サミットでは、木桶の組みたて、タガ編み、タガの中に入れる芯づくりなど、木桶づくりが常時行われ、合間合間で「木桶と料理」「木桶とラーメン」「木桶と小売り」など、「木桶と○○」をテーマにしたトークライブが開催された。各ジャンルのプロフェッショナルから見る木桶醤油の魅力が語られていたのが興味深い。

 

「木桶と料理」トークゲストの料理人さんたち

 

晴天寒空のもと、タガ編み

 

  昼食には、全国の有名ラーメン店の店主が木桶サミット限定の醤油ラーメンを“蔵出し”。日本たまごかけごはん研究所の上野さんから“究極のたまごかけご飯”のレクチャーを受けながら、お好みの醤油でたまごを味わうなど、醤油を楽しむ仕掛けが盛りだくさん。

 

 

会場は終始「楽しくやろう!」という雰囲気に満ち溢れていて、タガをフラフープに見立てたタガフープ選手権もそんな遊びのひとつ。一般開放される木桶サミットでは、世界選手権も開催される。

 

蔵元対抗タガフープ選手権

 

桶になった時の接着面には100年後の未来に向けたメッセージを思い思いに記す。

 

  醤油の蔵元さんから直接その蔵の醤油の特長を聞いたり、醤油蔵とラーメン屋とマッチング会なども。コーディネーターは職人醤油の高橋万太郎さん。「醤油をもっと楽しんでほしい」と100mlの小瓶限定で全国津々浦々の醤油販売を手掛けている(職人醤油はこちら)(お気に入りの醤油が必ず見つかる!職人醤油松屋銀座店の記事はこちら)。木桶プロジェクトの立ち上げメンバーの一人でもある。

 

ラーメン屋さんと醤油屋さんのマッチング会。テーブルに並ぶのは職人醤油の醤油たち。

 

三種類の醤油が味わえる醤油職人オリジナルの皿「醤3(ショウスリー)

 

  醤油蔵に限らず、発酵・醸造関係、料理研究家、メディア、小売り業者、バイヤーなどが集まり、木桶への関心の高まりを感じられた。 昔の人は孫のために木を植えた。自分が植えた苗木の行く末を見ることはできなくても、まだ自分に孫がいなくても木を植えた。それは、今自分がやらないと間に合わないから。 木桶醤油もそれと似ている。自分が組み立てた木桶を修理する職人はそう多くないだろう。今年小豆島でつくられた木桶の行く末を知れる人もいないだろう。それでも「今」やらないと木桶そのものが無くなってしまう。 伝統や文化というものは、盛りと廃れを繰り返しつつも継続されてきたものを指すのかもしれない。少しずつ、だけど確実に、木桶文化は継承されつつある。

 


2022年1月訪問

この記事を書いた人

里菌 かこ
「暮らしの発酵通信」ライター/発酵ライフアドバイザーPRO.

微生物関連会社に10年務め、農業・健康・環境などあらゆる分野での微生物の可能性について取材し、業界紙に掲載。発酵ライフアドバイザーPRO.の資格を取得し、発酵食品についても広く知識を深める。ライティングだけではなく、ワークショップ講師やイベント企画も務める文武両道の発酵ライター。

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