五穀豊穣ユバナウレ:浮島ガーデン(ヴィーガンカフェ)

沖縄県きっての観光地・国際通りの路地裏にあるヴィーガン(完全菜食主義)レストラン「浮島ガーデン」。沖縄県産、無農薬野菜、非動物性食材など、究極的なこだわり食材を使用し、特に外国人観光客に口コミで広がっている。自分の人生を変えた雑穀で世の中も変えていきたいという、オーナーの中曽根直子さんにお話を伺った。  

 

食べ物で体も価値観も変わった

私は昔、「豪華な家に住み、いい暮らしをして、いい服を着て、いいものを食べる」っていうのが、自分の価値だと思っていました。主婦なんて、お金も稼げない無能な人くらいに思う、ちょー頭イカレた人だったんです(苦笑)。 そのころは東京で放送作家として働いていたんだけど、昼夜逆転の生活をしていたから、体調を崩してしまって。3年間ずーっと微熱が続く状態でした。母が「食べ物を変えたら?」とマクロビオティックの本を勧めてくれたんだけど、面倒くさくて、やりませんでした。仕

事を1年休んで海外に行っていた時は体調は良くなって、でもまた仕事に復帰したら同じように微熱がはじまり、その時、偶然手にした雑誌に大谷ゆみこさんの雑穀料理のレシピが載っていて、見よう見まねで作ってみたらすごくおいしかったんです。それから3年間、ゆみこさんの元で雑穀料理を学びました。 食事を変えて1年経って、膿をもったブツブツが全身に出てきました。デトックスだよ、と言われ、3ヶ月我慢していたら、すっかりキレイになって、微熱もなくなったし、体調がすっかり良くなったんです。何よりも、雑穀料理のおいしさに魅せられてしまったんですよね。アワで乳製品、タカキビでお肉、ヒエで魚、モチキビで卵の代わりにします。調味料も味噌と醤油で和食・中華・イタリアン、ほとんどを再現できるシンプルクッキングというところも魅力でした。 食べ物を変えたことで価値観がガラって変わってしまったんです。お金最高!だった人が何でも自分で作れる人最高!ってね。  

 

大好きな沖縄に店をオープン

そんな経験のさなか、沖縄で演出家をしている友人から舞台の脚本の依頼が来て、沖縄へ行くチャンスが舞い込みました。沖縄は大好きで、学生時代によく通っていたんですが、それがキッカケで再度沖縄にご縁ができて、頻繁に通うようになりました。家を借りて、脚本の仕事以外の時に雑穀の料理教室を始めました。そうしたら、レストランやカフェで働いている方々が興味を持って通ってくれるようになったんです。彼らは農家さんたちと素晴らしいパイプを持っていたから、食材も手に入るようになって、店をやることにしました。

2010年にこの店を借りたんだけど、あまりにもボロボロだったから改装に半年くらいかかって、オープンしたのが2011年3月日。たまたま東日本大震災直後のオープンになって、関東から避難してきた方々が食べに来てくれていました。  

 

沖縄在来種の保存へ

その後すぐに、沖縄に久々に大きな台風が来て、農作物が塩で焼けて収穫できないという事態が起こりました。沖縄県産の無農薬有機野菜という縛りを設けてしまったがゆえに、ただでさえ少ない生産量の野菜が全く手に入らない状態。海岸作物なら残ってるよ、と教えてもらい、ニガナとか長命草とかで何とか料理をつないでいたんです。

店をオープンして数ヶ月で、沖縄の食糧自給率の低さと台風の破壊力に洗礼を受け、ヴィーガンなんて言葉を誰も知らず、地元の人には「肉や魚がないのに高い店」と言われ閉店を何度も覚悟しました。 沖縄県産の野菜もそうだけど、私は沖縄県産の五穀(粟、麦、ヒエ、モチキビ、タカキビ)で料理を提供し離島も周って、探しまくったけど、ない。正確に言うと「昔はあった」んです。「昔育ててたけど、誰も食べないからもう捨ててしまったさ〜」といろんな島で言われました。ただ、モチキビだけはちゃんと残っていました。在来種のタカキビを見つけたんだけど、自家用なので販売できないと言われ。だったら自分で育てるしかないと、野口種苗でタカキビの種を取り寄せ、栽培を始めたんです。

そして、育てたタカキビの種を農家さんに配って、栽培をお願いしましたが、誰も本気で栽培してくれず。そんな中、久高島で昔、在来のタカキビを栽培していた方と出会い、6年前から久高島で栽培がスタート。他の島でも栽培が始まり、今ではかなりの量を生産してもらえるようになりました。 でも、沖縄で一番大切にされてきた、肝心の粟は誰も栽培していない状態なので、どうにか復活させたいと、3年前に沖縄雑穀生産者組合を立ち上げました。今、在来種を引き継がないと本当に絶滅してしまうという危機的状況でした。今は組合員の方が在来種の更新と保存をしてくれています。

沖縄県産にこだわるとどうしてもコストが高くなりますが、それでも有機野菜で食料自給率を上げていきたいから、県産無農薬野菜を買い続けています。高くても買い支える方が増えてほしいですね。それが有機農家さんを支えることになるから。 今、本当に自然環境がひどいことになっています。農家さんと付き合っているとそれを痛感します。沖縄は台風と共に生きている島。在来種のものは、大きな台風が来ても生き残っているけれど、(一代限りの種)はこっぱみじんになっています。これだけ気候変動が激しい中、この土地にあった種の保存をしていかないと、食べるものがなくなってしまうという危機感があります。この土地、風土にあった種を残していきたいって。  

 

五穀で世直し「ユバナウレ」

八重山諸島に「ユバナウレ」っていう言葉があるんですけど、それは、「世が直る」っていう意味なんです。「ユ」というのが、「世」なんだけど、「穀物」とか「富」という意味もあるんです。昔の人は歌に託して、ユ(穀物)が稔れば世の中は良くなるよと教えてくれているんです。 沖縄周辺の島々の神事で使うお神酒も、お米からできたものではなく、粟からできたものが多かった。

沖縄はよく「五穀豊穣」という言葉を神行事に使うのですが、粟やキビ、タカキビといった五穀は神様への捧げものだったんです。私は雑穀・五穀に出会ったのが自分の健康のための料理だったけど、実はとても神聖な食べ物だったんです。それが今はほとんどなくなってしまった。

五穀豊穣の復活の願いを込めて、五穀米ならぬ「五穀舞」という舞を友人たちと始めました。この舞では、久高島で最後の神女となった方が栽培した在来のタカキビを魔法のステッキのように持って踊ったのですが、その動画を偶然見たサンフランシスコ国際芸術祭の主催の方から、これは世界最先端のアートだと褒めていただいて。

今年の5月、サンフランシスコ国際芸術祭で仲間と共に五穀舞を披露してきたんです!私は粟の神歌を歌いました。 五穀と出会って、愛してやまない沖縄に来て、体も心も意識も変化した。サンフランシスコで踊るなんてお導きもあって。面白いよね。マクロビの世界では、食べ物を変えると運命も変わるっていうけれど、まさにその通り。

「ユバナウレ」の言葉の意味を知った時、SNSで発信したり、政治活動に参加したりすることじゃなくても、五穀を復活させることが世直しになるんだなって思えました。だから、私は五穀にご縁をいただいたんだって。 私は自分の健康のためにベジアンになったけど、最近は、もっと自分の命を社会貢献のために活かしたいって思うようになってきました。五穀が実り、それを食べて健康になる人が増え、世の中がより良くなっていくことのお手伝いができたらいいなと思っています。

 


2019年9月取材 「暮らしの発酵通信」11号掲載

Information
浮島ガーデン
住所
沖縄県那覇市松尾2-12-3
TEL
098-943-2100

この記事を書いた人

里菌 かこ
「暮らしの発酵通信」ライター/発酵ライフアドバイザーPRO.

微生物関連会社に10年務め、農業・健康・環境などあらゆる分野での微生物の可能性について取材し、業界紙に掲載。発酵ライフアドバイザーPRO.の資格を取得し、発酵食品についても広く知識を深める。ライティングだけではなく、ワークショップ講師やイベント企画も務める文武両道の発酵ライター。

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