紅の宝石に秘められたうちなんちゅ魂「豆腐餻」

琉球王朝時代、位の高い客人をもてなすために作られた門外不出の高級珍味、「豆腐餻」。3cm角の小さな赤い宝石には、琉球王朝として栄えた沖縄から、戦争、そして現代の沖縄につながる歴史と誇りが刻まれていた。  

食への探求から生まれた豆腐餻

「東洋のチーズ」と評されるほど、一口含むと独特の香りと濃厚なうまみ、甘みが口の中に広がる。伝統的な製法を忠実に再現したものの中には、漢方薬のようなほろ苦さを感じるものもあり、好き嫌いが分かれる発酵食品のひとつだろう。 豆腐餻の原材料は、豆腐と麹と塩と泡盛。軽く乾燥させた島豆腐を、麹と泡盛を含むもろみに漬けこんで熟成させる。ルーツは中国の腐乳と言われている。腐乳は、麹をつけた豆腐を塩水に漬け、発酵させたもので、塩辛さがあるため、揚げて酒のつまみにしたり、おかゆに入れて食されている。琉球は中国と交易していたため、腐乳が入ってきたが、「塩辛くて食べられない。どうやったら塩辛さが抜けるのか?」と追究した料理人が、塩水の代わりに泡盛に漬ける方法を編み出し、現在の豆腐餻の原型ができたそう。

「主食である米を米麹にし、泡盛を飲むのではなく漬け汁にする。数ヶ月の時間をかけ、熟成させて食べる」まさに贅沢品。中国や薩摩と盛んに交易をして発展していた琉球王朝は、高級品である豆腐餻で外からの要人たちをもてなしていたという。 豆腐餻の赤は紅麹の赤。紅麹には、滋養強壮の効果もあり、栄養価も高いため、高級官僚たちの病後の滋養食としても珍重されていた。  

琉球の歴史と文化が詰まったお土産品

琉球王朝の中心となった地域首里。首里城周辺には、泡盛、首里織り、紅型(びんがた)など、文化や職人が集中していた。湧水があり、食文化も発展していた。食の中でも、泡盛や豆腐餻は作るところを制限されるほど厳格に管理されていたため、農民や漁師は知る由もなかった。

株式会社琉球うりずん物産 代表取締役社長 久髙 直也

「琉球王朝が衰退し、戦争を経て、沖縄が日本に返還されてからも、一般人の私たちは豆腐餻なんてものがあるなんて、全く知りませんでした。私の父が、豆腐餻という存在を再発見し、お土産品として大量生産の技術を確立させました。」 そう話すのは、株式会社琉球うりずん物産代表取締役社長の久髙直也さん。今では空港にもお土産品として豆腐餻が陳列されているが、そもそも「豆腐餻」という存在が知られるようになってからは経っていない。 「父は、戦争で台湾に疎開をしていました。終戦後に焼け野原になった沖縄には仕事がないという判断の元、ご縁をつないで鹿児島の大学で醸造学を勉強しました。大学卒業後、沖縄にビールの会社ができたので就職をしましたが、まだ工場すらない状態。仕方がなく、関係先の味噌・醤油の会社で働き、品質管理の責任者を長年やっていました。1975年に沖縄県の日本本土復帰記念事業として沖縄国際海洋博覧会が開催されることになった時、いよいよ私たちも『日本人』として、本土からくる人たちを迎えて沖縄の良さを分かってもらえる時が来た!と思ったそうです。そうした時、沖縄の気候の良さ、美しい海は体感してもらえればわかるけれど、『食のお土産品』がない、と父は気づきました。 当時のお土産品と言えば、洋酒かチョコレートかちんすこうか、ブロックのように大きな黒糖くらい(笑)。父は沖縄の伝統や文化を発信する食べ物の切り口を探していて、出会ったのが豆腐餻だったんです。」  

秘伝の豆腐餻を大量生産へ

「豆腐餻は、王家の料理人しかその作り方を知りませんでした。王朝がなくなり、料理人たちは、日本から来る客人の料理をする仕事や、花街に職場を変え、細々と豆腐餻は受け継がれていました。 父が働いた味噌・醤油の会社が首里にあったんですが、王朝の料理を担当していた家系の人たちがまだそこに残っていて、その方々に豆腐餻の作り方を聞き取りしたそうです。 『代々秘密に作られてきたから、本当は教えられないんだけどね』と言われながらも作り方を教わり、大学で学んだ知識を活かして、製造方法の意味も解明していきました。豆腐餻の伝統的な作り方では、紅麹の量が多く、でき上がった豆腐餻も真っ赤っ赤なんですが、日本人にはちょっと抵抗がある色だし、コストも高くなる。父が目指していたのは、王朝で食べられていた豆腐餻を再現することではなく、あくまでも沖縄の歴史や文化を感じられる食のお土産品を作ることだったので、色の調整とコストの削減、大量生産する方法を模索していきました。 それでできたのが、うちの会社の豆腐餻です。豆腐餻は紅麹と黄麹を使いますが、その割合を調整して、この色にしています。このピンクは、沖縄で昔からとれた、宝石のサンゴをイメージしているんです。この色であれば、本土の人も沖縄の人も抵抗ないかな、と思って。」

サンゴの様なかわいらしいピンク色をした、うりずん物産の豆腐餻

  「いざ、大量生産のしくみが整い、豆腐餻を販売していくことになった時、それまで一般庶民は豆腐餻の存在すら知らない状態でしたから、『豆腐餻ってなんねー(なに)?』『うりずん?うずりん?面白い会社の名前ね』と全く売れず。子ども心に、父の落胆した姿を覚えています。」 株式会社琉球うりずん物産は創立年。豆腐餻が売り出された当初は、もの珍しさからメディアには取り上げられ、沖縄の歴史を研究している大学の先生や、琉球料理研究家の方からは問い合わせが多かったものの、全然売れなかったそう。それでも、いいものをちゃんと作っていたら、いつか必ず売れると信じて、今までやってきた。積み上げてきた研究成果や豆腐餻の作り方を他社にも公開し、豆腐餻自体の知名度を高めてきた久髙さん。現在では昨今の発酵ブームもあって、豆腐餻の製造が追いつかないほどになっている。  

沖縄の誇りを取り戻す

「僕自身は、元々大手企業のシステムエンジニアでした。家業を継ぐなんて全く頭になかった。発酵はおろか、食品にすら携わらず、プログラミングを得意としていました。これからは、インターネットで情報を発信する時代になるから、そうした時に大事なのはコンテンツ(どんな内容を発信するか)だと思い、色々探していました。 そんな時に出会ったのが、高良倉吉さんが書かれた『琉球の時代』という本。沖縄が日本に返還されてから、本土に追いつけ追い越せと頑張ってきたけれど、本土の言語や文化と違うことから、言葉が通じない、と差別を受けたりしていて、沖縄の人達は自分達の文化や歴史にコンプレックスを持っていたんですよね。そんな中、高良さんの本は、沖縄のルーツを振りかえり、自信を持たせてくれるようなことが書いてありました。琉球王朝は、中国や薩摩と上手にバランスをとりながら自国を貿易で発展させてきたこと、紅型は本土で珍重されていること、沖縄の焼き物は民芸品として価値が高いことなど。」

広報やパッケージデザインなどを手掛ける謝花恵子さん(奥様)と仲睦まじく運営されている。

  「沖縄の歴史というと、絶対『戦争』が出てくるけれど、戦争でめちゃめちゃになったかわいそうな土地だけではないんだな、この小さな島国でも強国と対等に関係性を築いてきていたんだな、と本を読んだ時にとても衝撃を受けました。それは、私だけではなく、コンプレックスを抱えていた沖縄の人たちが誇りを取り戻すことにつながったと思います。僕はもっと沖縄のコンテンツ材料を増やそう!と思って、大学の図書館に調べに行ったり、文献を読んだりすることを繰り返していたら、ここまで詳しくなっちゃいました(笑)。 他社さんは『豆腐餻そのものはどんなものなのか』について説明はできるけれど、僕みたいに、大きな歴史の流れの中で豆腐餻について話す人はあまりいないんじゃないかな。今は、そこが差別化にもなっています。」 高度経済成長の波を受け、「父親の仕事を継ぐもんか!」と家を飛び出したものの、色んな理由で家業を継ぐことになった方はとても多い。その中で共通しているのは、「原点に立ち返る」ことではないだろうか。「原点」は製造方法であったり、自分自身のルーツであったり、人それぞれ。モノが溢れ、商品そのものだけでは、差別化を図るのが難しい時代、誰も真似できないのはその人自身の歴史とキャラクターだ。久髙さんの豆腐餻が食卓に並んだ時は、琉球の時代から吹いてくるうりずん(※)の風を感じて味わってほしい。   ※「うりずん」とは、琉歌の中で使われる季語。北風の吹く寒い季節から、蒸し暑くなる季節に変わる時、とても短いさわやかな期間がある。その心地いい季節を「うりずん」という。㈱琉球うりずん物産の名前の由来にもなっている。  

琉球うりずん物産の豆腐餻ができるまで

 

colum:祝いの赤の紅麹

紅麹とは、赤い色素を持った菌(カビ)の一種が米に繁殖したもの。コレステロール抑制作用や血圧上昇抑制作用、抗酸化作用など様々な薬効がある。中国や台湾では「赤」はおめでたい色。大陸文化を強く受けていた琉球王朝でも、赤は「高貴な色」であった。真っ赤な豆腐餻は、隣国の要人へのもてなしと敬意の象徴として宴席を飾ったのだろう。  

colum:あちこーこー島豆腐

沖縄の有名な豆腐は2種類。じーまーみ豆腐(上写真)と、島豆腐。じーまーみ豆腐は、豆腐と言う名前がついているものの、大豆ではなくピーナッツのしぼり汁をデンプンや葛粉で固めたもの。一方、島豆腐は豆腐餻やゴーヤチャンプルーの材料にもなっている、大豆からできた木綿豆腐。本土のものよりも硬くて大きい。沖縄では、でき立て熱々(あちこーこー)の島豆腐が人気で、スーパーによっては、でき上がり時間が記載されているところも。  


2019年9月取材 「暮らしの発酵通信」11号掲載

Information
株式会社琉球うりずん物産
住所
沖縄県宜野湾市大山6-6-22
TEL
098-897-3767

この記事を書いた人

里菌 かこ
「暮らしの発酵通信」ライター/発酵ライフアドバイザーPRO.

微生物関連会社に10年務め、農業・健康・環境などあらゆる分野での微生物の可能性について取材し、業界紙に掲載。発酵ライフアドバイザーPRO.の資格を取得し、発酵食品についても広く知識を深める。ライティングだけではなく、ワークショップ講師やイベント企画も務める文武両道の発酵ライター。

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