ここに暮らす、ここで育てる:稲作農家 松下明弘さん

青島酒造が「地の酒」を追求し続けられるのは、藤枝市で原材料の酒米をつくる松下さんの存在があってこそ。松下明弘さんは喜久醉の中で「松下米」と名前がつく酒の米の生産者。青年海外協力隊でアフリカに2年間勤務し、地元藤枝市に戻り、30代前半で無農薬の稲作専業農家となった。

 

水で繋がり生まれた地酒「喜久醉 松下米」

「専業農家になろうと決めた時、せっかくなら酒米も作ってみたいと思ったんです。それで、静岡のお酒を色々飲んでいたら、よく行く酒屋さんから、おいしいから飲んでみなって紹介されたのが青島酒造の喜久醉でした。飲んだらむっちゃくちゃ甘くてね、ひっくり返るくらいおいしかった。水が合ったんだよね。今思えば、自分が育った水と同じ水なんだから、体に合わないはずがないですよね。」

同じ時期にニューヨークで金融の世界に生きていた青島酒造の青島さんと、アフリカでお金に価値を置いていない人々と暮らしていた松下さん。世界を見た二人が「【地】酒」を醸していく。

  「それで、青島酒造の社長に『酒米の勉強をしたいから教えてくれませんか?』とアポなしで突撃訪問したんです。当時、専務の孝さんはまだアメリカにいて、社長は青島酒造の廃業を決めていたから、自分の好きなことをやろうとしていたようです。そこに突然変な若者が訪ねてきたから、逆に興味を持ってくれたんでしょうね。 話の流れで、社長がアフリカに旅行したという話題になり、俺もアフリカから帰って来たばかりだったからその話で二人とも盛り上がってしまって(笑)。当時、アフリカの話ができる人なんていなかったから。」

 

「食うこと、生きることに思想はいらない」

大地にしっかりと根を張った松下さんの山田錦。丈が長く、倒れやすい品種で、栽培が難しい。台風直撃の年は籾と葉が引きちぎられても、倒れた稲はなかったそう。

  有機農家を志す人は、健康・環境問題について確固たる意志を持っているようなイメージが強い。その一方で、松下さんはハッキリと「俺は有機栽培に対する思想なんかない。」と言う。そこにはアフリカでのある出来事があった。

青年海外協力隊の農業指導員としてアフリカに渡った松下さんは、灌漑設備をつくり、肥料を与え、収穫物を販売するという日本型の農業で現地の発展を目指していた。乾季でも畑で作物が作れるように、湖から水を引くためのポンプを借りる申請書を作っていたある日のこと。近所の少年が遊びに来た。申請書を作っているから待つように伝えると、少年は不思議そうな顔で松下さんを見つめていた。作物がもっとできるようになったら、それを売って、そのお金でラジオの電池や靴を買えるようになると説明した松下さんに少年はこう返した。

「ふーん…でもさ、1年間生きていける分の食べ物は神様が用意してくれるのに、なんでそれ以上つくる必要 があるの?」 「あの時、少年にお金の価値を説明しようとすればするほど、自分がどんどん空しくなっていきました。この子らはモノとかカネに全く価値を感じていなくて、自分はそういう尺度でしか物事を見ていなかったことに気づかされたんです。

愕然として、それまでの自分の人生が音を立てて崩れていきました。 若い頃、人間は何のために生きてるんだろう?と悶々としていて、その答えが分からなくて社会や国のせいにしていました。

今思えば、自分が食うこと、生きることの根幹が抜けていたのに周りに答えを求めていたから浮ついていた。今は人間として、食べるものを当たり前につくり、それを当たり前に食べ、この土地に住んで暮らして死んでいく、それが生きることなんだなって思っています。

この土地と共存していくためには、土や水を汚していたら自分が生きて行けなくなる。いかに人間が余分なことをせず、植物が本来持っている生命力をどれだけ引き出せるかが大事。だから、俺にとっては農薬や化学肥料は必要ないものなんです。

でも、その分、EM(※)を使ったり肥料を作ったりして、微生物の土台がしっかりした土を育てる必要はあります。 植物はね、人間のことをよく見ていると思いますよ。対等に接していれば、きちんと応えてくれる。まぁ、俺はお稲様の奴隷だけどな(笑)。」

世界中にある珍しいお米を集めては、趣味の田んぼで140種類以上育てている。

  余計なものは必要ない、という松下さんの言葉からは、自然はすべてを与えてくれているという安心感が伝わってきた。 ※EMは乳酸菌や酵母、光合成細菌などの善玉菌を集めたエコフレンドリーな(環境に優しい)農業用資材  

 

当たり前で気づかれない、地域の宝「水」

松下さんが山田錦を栽培するようになって数年後、アメリカから青島孝さんが孤軍奮闘の勢いで帰って来た。 「面白いですよね。孝君は資本主義経済で人間の欲の真骨頂ともいえる金融の世界を見てきた人。一方、俺はアフリカの僻地で『お金って何?』という価値観を持った村で暮らしていた。そんな両極の世界を知った二人が戻ってきたのは、自分たちの地元なんだから。」

「稲穂に栄養が送られている時期に茎を噛むと、甘いんですよ。」と松下さん。無農薬の田んぼがなせる業。

  「でも、世界を見てきたからこそここの良さ・価値をすごく感じています。青島さんもよく言っているけど、この水は地域の宝。他の地域の農家さんが見学に来るけど、これだけの水量があってうらやましいと言われます。地元の農家たちは水が豊富にあるのは当たり前だから、田んぼにガンガン水を入れて、ガンガン落とす。それが良い悪いではなくて、この価値になかなか気づけないことがもったいない。

今問題なのはリニア鉄道のトンネル。トンネルによって地下水脈がどう変わるかは誰にもわからないし、その影響がいつ出るかわからない。遠い未来に、この地域に水の来なくなるかもしれない。

そんなことを未来の子どもたちには残せませんよね。」 身近すぎて感じられない価値は、どこにでもある。その価値を探して地方都市や田舎は地方創生へと動いている。「地域を変えるのは、よそ者・若者・バカ者」と言われているけれど、本当に地域を元気にするのは、「よそ者として地域の宝を見つけた、地元の若者」なのかもしれない。  

 

松下さんの名前がついた「カミアカリ」

日本で初めて山田錦の無農薬有機栽培に成功した松下さんは、個人として品種登録も成し遂げた。(一般的に品種登録は県の研究機関や農協などの法人が取得するもの。)

一般的な玄米の2倍以上大きな胚芽(点線部)を持つカミアカリ。その大きさは炊いた時にもわかるほど。

  ある時、稲の熟し具合を見ようと、たわわに実る稲穂の中からひときわ大きな胚芽を持つ稲穂を発見した松下さん。変異種を見つけられたのは、松下さんが自他共に認める「米オタク」だから。

発見されたお米は、松下明弘さんの「明」の字を取ってカミアカリと命名。胚芽が大きく、玄米の表皮が薄いのが特徴で、他の玄米と同じように炊いても、皮が薄いので食べやすく、さらに、胚芽部分がプチプチとした食感を生み出し、雑穀米のようにおいしくいただける。  

 

米オタクによる「田んぼの話」

「ロジカルな田んぼ」松下明弘/日経プレミアシリーズ 松下さんが有機・無農薬に至った経緯や青島酒造さんとの出会い、稲の生理や稲作について語った書籍。稲作農家ではなくても、田んぼやお米に関わる方に一度は読んでいただきたい一冊。

 


2018年9月取材:「暮らしの発酵通信」8号静岡版掲載

Information
松下さんのお米の購入先:安東米店
住所
〒420-0882 静岡県静岡市葵区安東2-20-24
TEL
054-245-1331
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