塩を使わず300年。木曽の菌と人が育む〈すんき〉

塩を使わずに作る、日本で唯一の乳酸菌発酵させたカブの葉の漬物〈すんき〉。「酢茎(すぐき/すっぱい茎、の意味)」がなまって〈すんき〉と呼ばれるようになった。長野県木曽地方で300年以上親しまれ、健康ブームで再び注目を浴びているすんきの魅力とは。

世にも奇妙な?塩を使わない漬物

 発酵の歴史は食品保存の歴史ともいえる。冷蔵庫などの保存技術が乏しい時代、食品を腐らせずに長く食べられるようにするため、発酵食品という保存食が発達した。その代表格が塩を使って発酵させた漬物であり、塩を使った野菜の漬物は数え切れないほどある。

 ところが、長野県木曽地方に古くから伝わる保存食〈すんき/すんき漬け〉は塩を一切使わない。すんきとは、木曽地方で採れる赤カブの葉を原料にし、複数の乳酸菌で発酵させた無塩の漬物で、乳酸菌由来の酸味が特徴である。似たような漬物に京都の〈すぐき〉があるが、これはすぐきというカブを塩を使って発酵させたもので、葉だけではなくカブの実全体も使用する。また、木曽町に隣接する岐阜県高山市には〈飛騨の赤カブ漬け〉がある。赤カブと塩で乳酸発酵させて作る漬物だが、こちらはカブの葉は使わずに実の部分のみを使用する。

カブの漬物色々

 似て非なるカブの漬物。日本国内で塩を使わずに発酵させて作る漬物はすんきしかない。「漬物は好きだけれど、塩分が気になる」という健康志向の方からも好まれている。

 世界を見ると、ミャンマーとの国境付近にあるインドのナガランド州にはタロイモやからし菜の葉に重石を乗せて発酵させる漬物があり、ネパールにもグンドゥルックという青菜を発酵させて乾燥させた食品がある。

 すんきを含め、これらの無塩漬物があるのはいずれも山岳地帯で、地理的に塩が容易に手に入りにくいことと、そもそも塩は貴重で高級なものだったことから無塩の漬物が発展したのではないかと考えられている。古くから木曽地方、御岳山山麓の村々では「米を貸しても塩を貸すな」と言われるほど塩の入手が困難だった。ただ、塩漬けの漬物と無塩の漬物は、漬物の起源としてどちらが古いのかはわかっていない。

おいしく続いて300年

 すんきに使用される赤カブは6種類ある。王滝村の王滝カブ、木曽町開田(かいだ)高原の開田カブ、木曽町三岳の黒瀬カブ、上松町の吉野カブ・芦島カブ、木祖村の細島カブである。いずれも信州の伝統野菜に認定され、すんきは農林水産省の地理的表示保護(GI)制度※に登録されている。

 木曽の道の駅などでは「〇△村のすんき」や「□〇さんのすんき」という名称で生産者ごとのすんきが販売されていて、数種類購入して味比べをするのが楽しい。

※「地理的表示保護(GI)制度」とは、その地域ならではの自然的、人文的、社会的な要因の中で育まれてきた品質、社会的評価等の特性を有する産品の名称を、地域の知的財産として保護する制度。

すんき名人 野口廣子さん

毎年多くの人にすんきの漬け込み体験と指導を実施。第10回すんきコンクールで名人の称号を得た。

今回お話を伺ったのは、すんきコンクールで名人の称号を得たことががあるすんき名人の野口廣子さん。
 「すんきはわかっているだけで300年以上の歴史があります。松尾芭蕉の門下の旬会で弟子の凡兆が詠んだ句の中に木曽のすんきの一説があったり、法要のメニューの中にすんきが記されていたりしたそうです。誰がどうやって作り始めたのかはわかっていません。

 ただ、長い間ずーっと続いているということは、毎年食べたいっていう気持ちがあるからだと思うんですよね。私の姑も祖母もすんき名人でした。でも、父はすんきが嫌いだったので私の母は作りませんでした。食べたい時は実家からもらっていたみたいです。もし父のようにすんきが嫌いな人の方が多かったら、どこかの時代で作ることを止めていますよね。冬の訪れを感じる時期になると、すんきを仕込んで今年も食べたいなぁって思う。そういう食の文化なんでしょうね。」

 野口さんがすんき作りを始めたのは約40年前。時代の移り変わりもあり、農家の収入形態が変わっていく時だった。開田高原や木曽福島スキー場に通じる国道沿いに無人販売所を作り、周囲の農家で採れるが余ってしまう野菜の販売を始めた。現在はそこを工房としてすんきを仕込んでいる。「最初は『無人』販売所だったけれど、もっと楽しくしようと思って、名前を『夢人市』にしたんです。」と野口さんは笑って話す。

すんき名人は短気⁈

 すんきの仕込み時期は短い。11月から12月上旬の間の1ヶ月程度でその年の仕込みを終える。

 「カブの葉に霜が降りてからじゃないとすんきは作れないんです。霜が降りることで甘味が増した葉を使わないとおいしいすんきになりません。とはいえ、寒くなりすぎると葉がダメになってしまいます。

 毎年11月はほぼ休みなくすんきを仕込んでいます。私たちはカブの栽培から手掛けていて、午前中はすんきを仕込み、午後は次の日に仕込むためのカブの収穫をしています。」

「霜が降りないと茎が甘くならないのよね。今年はタイミングよく霜が降りてくれたから、おいしいすんきになるね。」と手際よく葉の処理をしていく。

 すんき仲間たちと手際よくカブを収穫していく野口さん。収穫している時やカブの葉を整えて洗浄する時は仲間と話に花が咲くが、すんきの仕込みの時には空気にピリッと緊張感が走る。

 「すんきを漬け込むときは手早く作業をするために必要なものをすべて周りに揃えておきます。葉を温める温度と、容器に入れて蓋をした後の保温する温度が一番大事です。乳酸菌が発酵する温度を保たないといけないから、熱すぎても冷たすぎてもダメ。仕込める時期が短いし、作業はさっさとやらないといけません。
 今から仕込むぞ、というときは電話にも出ないし、誰かが来てもちょっと待っていてもらいます。『すんきは気が短い人がうまく作れて、気が長い人は失敗する』なんて昔から言うんですよ(笑)。」

1日に漬け込む量は大きな樽二杯分。長年の経験から仕込み方、仕込む量などを調整してきた。

 発酵食品において塩を使う理由の一つは雑菌の繁殖を抑えるためであるが、すんきは塩による雑菌の抑制ができないため、手早い仕込みが大事な要素なのだろう。野口さんが短気かどうかは別として、仲間の皆さんは口を揃えて「野口さんはすんき名人なのよ」と言う。

すんきができるまで

土地と人と乳酸菌

カブの葉を刻んで湯通しをして温め、既に完成しているすんきと共に容器の中に漬け込んでいく。約12時間保温し、カブの実がピンクに変わってきたら良い発酵ができた証。少しカブの実も入れることで甘味が出て、発酵の良し悪しの目安にもなる。

仕込みから約12時間後。カブの実が鮮やかなピンク色になる。

 地域ごと、家庭ごとにすんきの味は異なる。すんき名人のところに発酵が終わっているすんきをもらいにいく人がいて、それを種にして自宅ですんきを仕込む。野口さんのおばあさんの所にも種をもらいによく人が来ていたそう。

 「すんきは種の性質を受け継ぐみたいで、最初に漬け込むときにはやっぱり良い種を使った方がいいですね。ヨーグルトを作るみたいに種から乳酸菌を増やして、それをまた使って増やして…と継いでいきます。何度か作るうちに菌が強くなってくるのか、だんだん味が良くなっていきます。

 今は菌の研究が進んでいるから、発酵に適している温度は何度とか、どんな乳酸菌がいるのかとかわかってきているけれど、昔は全部勘でしたよ。葉の生育状態や葉を温めて入れる時の温度、種の良し悪しは40年やってきてやっと様子がわかってきました。

 でも不思議なのは、他の地域で同じように作っても同じ味にならないんですよね。すんきがブームになって、長野県内の色んな所で講習会に呼ばれて作ったけれど、半分くらい酸っぱくならなかったんです。作る人によって持っている菌が違ったり、温度がちょっと違うだけで動く菌が変わったりするからかな。木曽の土地と気候と水だからこそ、このすんきの味になるんだと思います。

 すんきが体に良いということがわかってきたからか、最近は家ですんきを仕込む人が増えてきましたよ。この地域の食文化がつながっていきそうで嬉しいです。」

 野口さんは「すんきのとりこになった」と言う。その理由を聞くと「だって、おいしいじゃない?みんなで作っていると楽しいし!」と元気な笑顔とともにシンプルな答えが返ってくる。おいしいから食べる。楽しいから作る。塩を使わないという究極にシンプルな〈すんき〉。木曽地方は人も漬物もシンプルな中に味わいがある。

 

すんきなコラム①:1gに数億個の乳酸菌!

すんきは1g(または漬け汁1ml)中に数億個の乳酸菌が生息していて、20種類以上の乳酸菌が見つかっている乳酸菌発酵食品。すんきから初めて発見された乳酸菌もある。すんきに含まれる乳酸菌の研究では、アレルギー予防、インフルエンザ予防、ピロリ菌の増殖抑制などが報告され、健康食品としても注目されている。また、野菜などでは補いにくいビタミンB12も含まれていて、ビーガン食材としても可能性を秘めている。

 

すんきなコラム②:すんき×醤油でうま味アップ!

酸味だけではなく甘味とうま味も感じるすんき。甘味はカブそのものに含まれる糖分に由来するが、うま味はすんきの中にいる乳酸菌が作り出す「コハク酸」によるもの。コハク酸とは、主に貝に含まれるうま味成分の一種。酸味だけではなく甘味とうま味も感じるすんき。甘味はカブそのものに含まれる糖分に由来するが、うま味はすんきの中にいる乳酸菌が作り出す「コハク酸」によるもの。コハク酸とは、主に貝に含まれるうま味成分の一種。

おいしいすんきの食べ方

Information
野口さんのすんき直売所「笹っこ(夢人市)」
住所
長野県木曽郡木曽町新開8418-1
TEL
0264-46-2011
その他
2022年シーズンの野口さんのすんきは販売終了となりました。次回は2023年11月中旬より、直売所と道の駅木曽福島で販売予定です。
その他の木曽地域のすんき取り扱い先一覧は、木曽町商工会webサイトをご覧ください。
https://www.kisomachi.or.jp/

この記事を書いた人

里菌 かこ
「暮らしの発酵通信」ライター/発酵ライフアドバイザーPRO.

微生物関連会社に10年務め、農業・健康・環境などあらゆる分野での微生物の可能性について取材し、業界紙に掲載。発酵ライフアドバイザーPRO.の資格を取得し、発酵食品についても広く知識を深める。ライティングだけではなく、ワークショップ講師やイベント企画も務める文武両道の発酵ライター。

関連記事